赤い刃が風を凪ぐ。それは一寸の狂いもなく敵の急所を貫いた。
迷いのないその攻撃は心と裏腹なもののように思えた……。

その原因はつい数日前のことだった―――

『さようなら、アセルス様……。私は闇の迷宮に残ります』
大切なものを犠牲にしなければ出られないという闇の迷宮。アセルス達が出るために犠牲になったのはアセルスとずっといた白薔薇姫だった。
「白薔薇、白薔薇ぁぁぁぁっ!!」
一番の良き理解者であった白薔薇姫の喪失はアセルスの心をズタズタに引き裂いた。
仲間やイルドゥンでさえ、彼女一人を置いてどこかへ行ってしまった。
「白薔薇白薔薇白薔薇白薔薇っ!!」
悲痛な声で泣き叫ぶ。何時間泣き続けていたのかさえ分からないほど、アセルスの心は壊れていた。
涙は枯れることを知らず、とめどなく溢れてきた。もはや、止める気すら起きず流れるだけ涙を流した。抗うだけの気力も残っていなどいなかった。
周りは誰もいなく、アセルスは完全に一人だった。だが、今のアセルスにとってそんなことはどうでも良かった。白薔薇がいない、それが大事なことなのだから。
「……私はこれからどうすればいいの?」
答える者のいない問い掛け。今まで見えていたはずの未来。自分が何をし、どうしたかったのか。
白薔薇のいない今、何も見えなくなった。
そこへ迷宮内で会った赤カブが現れた。
「姫さんが残ってくれたおかげで僕は出ることができた。だから代わりとして君の傍にいるよ」
「……君が、白薔薇の?」
何を言っているんだ、とでも言いたげな声で喋る。実際、アセルスは心の中でそう思った。
君みたいなのが白薔薇の代わりになるはずがないと。
誰も白薔薇の代わりになれないと。
あまりにも可笑しすぎてアセルスは笑っていた。赤カブもまた笑っていた。
でも、赤カブがそう言ってくれたことでアセルスの心は少しだけ軽くなった気がした。
「君は白薔薇が好きだったんだよ」
いつの間にか目の前にゾズマが立っていた。彼は口をうっすらと笑みの形にし、そう言ってのけた。
「……何を言ってるの?私は女。白薔薇を好きになるはずがない」
「それは人間の一般常識だろ?」
違う、そう言えなかった。もしかしたら、本当に白薔薇が好きだったのかもしれない。
「好きだって言ってみろよ」
「でも………」
そうアセルスが言いかけた時だった。今まで赤カブとゾズマとアセルス三人の気配しかしなかったのが急に増えた。
「少しはしゃきっとしろ!見ていて歯がゆいぞ!」
先程自分を置いていった仲間達がそこにいた。その真ん中に立つのは今アセルスに対して怒鳴ったイルドゥンだった。
みんな自分の為にまた戻ってきてくれた。心配してくれていたのだ。
そう思うと胸から熱いものが込み上げてきた。
「みんな……ありがとう」
一人じゃなかった。みんなが自分を支えていてくれた。
「泣いていても始まらないんだよね。だったら、前に進もうと思う」
心が完全に立ち直れたわけではない。それでも、今は自分の為に前に進まなければ。
「みんなもう一度だけ力を貸して」
どんな結果が待ち受けていようと……。

ざしゅっ
赤く鈍い輝きを放つ魔剣・幻魔を固く握り締めながら、アセルスは肩で息をしていた。
ここ最近ずっと戦っていたせいか、疲労を感じるようになってきた。
眩暈がする。気が遠くなる。
――瞬間、アセルスは地面へと倒れた。
「アセルスっ!!」
誰かが自分の名前を呼んだ気がしたが、それが誰のものか分からなかった。

「…………」
「気が付いたみたいだね」
起き上がると、そこには本を読んでいたルージュがいた。彼は優しく微笑むと本を閉じた。
「まだ安静にしてた方がいいよ」
動こうとしたアセルスを優しい声が止める。アセルスは素直にそれに従うことにした。
「……どのくらい眠ってた?」
「丸一日は寝てたよ。相当疲れが溜まってみたい」
「そう………」
自分では短い間だと思っていたが、意外にも時間は経っていた。
「みんなは……?」
辺りを見渡しながらアセルスは問う。
「買い物」
ルージュは簡単に答える。
「……こっちからも質問だけど何か悩んでる?」
「えっ……?」
普段他人と距離をとり、心の中に踏み込んでこないルージュがアセルスの心の中に踏み込んできた。
それほどまでに悩んでいるように見えるのだろうか。
「言いたくないなら聞かないけど」
少し悲しそうに付け足す。
だが、そこまで聞いてきたのだから最後まで聞いてほしい。
「……ううん、聞いてもらいたい」
アセルスは自分の中にある気持ちをルージュに話し始めた。
「……ゾズマがね、私は白薔薇を好きなんだって言ってた。実際、そうなのかもしれない」
そう言われた時、何も言い返せなかった。むしろ、納得してしまった。
「だけど、それは私の気持ちなの?それともオルロワージュの血のせい?」
元々の自分の血とオルロワージュの血が混ざっている今の自分。
この世界でたった一人の半妖。
「……白薔薇だって私がオルロワージュの血を持っているから私と一緒に旅をしていたのかもしれない」
オルロワージュの寵姫だった白薔薇。もし、自分が――
「――私がオルロワージュを倒して人間になったら、白薔薇は私の傍にいてくれないかもしれない。……そしたら、堪えられない」
そうなったら今度こそ自分は壊れる。狂って、狂ってどうにかなりそうだ。
「………それとも人間に戻ったらこんな気持ちを忘れるのかな?」
白薔薇に対するこの想いも妖魔の血と共に消えるのだろうか。
それとも永遠に消えることはないのか。
「どうだろうね。そればっかりはオルロワージュを倒してみないことには分からないよ」
今まで黙ってアセルスの話を聞いていたルージュは突然そんなことを言いだした。
まるで、アセルスのことを慰めるかのように。
「だけど、白薔薇さんはオルロワージュじゃなくてアセルスを選んだ。きっと、アセルスが何になろうと傍にいてくれると思うけど」
こうやってルージュの優しさに触れていると白薔薇のことを思い出す。彼女もこんな風に自分に、いや他の人に対しても優しかった。
「優しいんだね、ルージュは」
「……そんなことを言われたのは初めてだな」
ルージュは悲しそうに目を伏せる。理由を尋ねてみようとしたが、人には触れられたくないものがある。だから聞けなかった。
「なんか、話を聞いてもらっただけでも気持ちが楽になったよ。……ありがとう」
「それは良かった」
こんな僕でも役に立てて、と言ってルージュは微笑んだ。アセルスはそれにつられて笑った。
「よし、とりあえずオルロワージュを倒しにいこう。……自分がこれからどうなるのかとか、白薔薇のことはそれが終わらないと始まらないし」
「僕もオルロワージュを倒すのを手伝うよ」
そう言うと、ルージュは立ち上がった。アセルスがどうかしたのかと尋ねると、ルージュは先程のように簡単に答えた。
「食事、まだでしょ?」
「あ、そうだった」
「すぐに持ってくるから待ってて」
ルージュがこの場からいなくなると静かになった。それでも、みんなに置いてかれたあの時に比べると全然つらくなかった。
自分だけじゃない、そう感じる。
「……白薔薇、私はもうあの人から逃げない。立ち向かうよ」
何もない空間は何も答えない。だが、アセルスは喋るのをやめなかった。
「――だから、また私の所へ戻ってきて」
薄れかけていた白薔薇に対する想いがまたアセルスの心を覆い尽くす。
―――その時だった。
『………はい、必ず戻ります』
白薔薇の声が聞こえてきた気がした。その声が本当に白薔薇のものだったが分からないが、アセルスはとても嬉しそうに微笑んだ………。

END

 

 

 

 

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